【極上のテレワークVol.2】湯河原の旅館で文豪気分のテレワークを
2020年の新型コロナウイルス感染症の感染拡大による緊急事態宣言発出以降、多くの企業で導入・実施されたテレワーク。確かに、オフィスより自宅は気楽。だけど、もっと居心地が良くて、もっと創造性を刺激し、もっと仕事がはかどるようなテレワーク環境があるはず…。
そんな、至高のテレワーク環境を探し求め、全国各地のテレワークスポットを文筆家・ワクサカソウヘイさんが体験レポートしていきます。第2回は、湯河原の温泉旅館「THE RYOKAN TOKYO YUGAWARA」でのテレワークです。
旅館での缶詰に憧れて
原稿に追われる人生を送ってきました。
もう20年程著述業に身を浸している私、ワクサカソウヘイです。「〆切」はもはや半生の友であり、同時に宿敵でもあります。逃げても逃げても、ずっと背後から迫りくるデッドラインの影。それを振り切るため、今日も自宅ではない場所でテレワークをしています。原稿をはかどらせたいとき、環境を変えてしまうのが何よりも効果的なのです。
さて、文筆を商売道具とした者であれば、誰でも一度は憧れるテレワークシチュエーションがあります。
それは、「缶詰」。
作家が〆切に追われ、そして編集氏から「先生、そろそろ…」などと言われ、「わかっている、わかっているんだがね…」と頭をかきむしり始めるその頃合い。気をきかせた出版社が用意するのが、都会の喧騒を離れた先の旅館の小部屋。そこに、作家は原稿と共に放り込まれ、執筆だけに集中させられます。これが「缶詰」です。「館詰め」ともいうそうです。
あまたの文豪たちが、その「缶詰」体験をそれぞれの随筆などでつづってきたわけですが、どういうわけでしょう、私はいまだにその環境をものにしたことがありません。
やはり口ひげをたくわえていないのがいけないのでしょうか、それとも縁側で猫をなでていないからなのでしょうか。「アイラブユー」を「月がきれいですね」と訳した経験がないことも一因となっている可能性があります。
とにかく、「缶詰」とは原稿仕事に携わる者にとって、一度はふれてみたい魅惑のテレワークなのです。
誰も私のことを「缶詰」してくれないのであれば、自分で自分自身を「缶詰」するしかありません。そう、「セルフ缶詰」です。
そんなことを思っていた折、おあつらえ向きのテレワークプランを発見しました。
湯河原にある宿泊施設のTHE RYOKAN TOKYO YUGAWARAでは、1泊2日の「大人の原稿執筆パック」なるものが用意されているというのです。
私は早速それを予約してもらい、そして〆切迫る原稿一式を抱え、湯河原へと旅立ちました。
原稿執筆用にデザインされたかのような施設
そこは、山沿いの傾斜をタクシーで登った先にある宿泊施設でした。温泉街の中心からは少し離れた位置にあるため、誘惑を断ち切るにはぴったりのテレワーク先といえます。周囲は緑に囲まれ、なんとも穏やかな雰囲気に包まれているではありませんか。
玄関前に配置された鳥居が、なんだか異界へのいざないのようにも見えます。そうです、私はこれから未知の世界「缶詰」へと突入するのです。
館内の照明も、静かなトーンに満ちています。
チェックインを済ませた私は、早速原稿に取りかかるのかと思わせて、まずは施設の中をウロウロし始めます。良い原稿を書くためには、まずテレワーク先の全体像把握が欠かせないのです。自分は今からどのような場所でどのような形で執筆作業をするのか、その段取りが先々にものを言うのです。決して、ぐずぐずと現実逃避をしているわけではありません。
まずは温泉をチェックです。執筆が煮詰まったとき、気分転換として最適なのはお風呂に浸かることです。こちらの施設では、宿泊中であればいつでも入浴が可能とのこと。ありがたい。私は何度もこの湯を浴びることでしょう。
廊下の途中には、小さな座敷スペースがありました。部屋での作業に飽きたら、ここに移動するのも手でしょう。窓から見渡せる湯河原の山間の景色がなかなかに壮観です。豊かな自然がきっと私にすばらしいインスピレーションを与えてくれるに違いありません。同行のカメラマンさんが、「でも、夜になったら何も見えないでしょうね」と言っていましたが、とりあえずそれは無視しました。
おや、これはなんでしょうか。
ロビーと食堂の狭間に、ビーズソファが敷き詰められた空間を発見しました。
なるほど、これはリラクゼーションスペース。もちろん、ここでの作業も可能とのこと。なんともかゆいところに手が届く施設ではありませんか。自宅から離れたテレワーク先に移動し、その環境の中でさらに作業場所を転々とできる。いわば、「テレワーク内テレワーク」です。原稿を書くためにデザインされた施設とたたえても過言ではありません。
「原稿の進み具合はいかがでしょうか?」
そしてもちろん、1泊2日の「缶詰」を行う客室も過不足のないものでした。清潔な畳、高い天井、窓の外から聞こえてくる小鳥のさえずり。これ以上、何を求めればいいというのでしょうか。
早速、備え付けのちゃぶ台にPCを広げれば、気分はすでに文豪です。私は執筆作業へと没頭することにしました。持ち込んだ原稿群を、一つひとつ切り崩していく所存です。
しかし、2時間もした頃でしょうか。ハッと気づけば、畳の上で大の字になり、天井の木目模様をぼんやりと眺めながら、「紅白帽のゴムの部分ってしょっぱかったよなぁ…」などと、右脳だけで小学4年生の頃の思い出をよみがえらせている自分を発見しました。
そう、「煮詰まった」のです。「集中力が切れた」のです。
こうなると、著述業は悲運に見舞われます。〆切を目の片隅に追いやり、とりあえず布団で3時間程の睡眠をとったりしようか、などと検討を始めます。魔が差すのです。
しかし、これは「大人の原稿執筆パック」。そうは問屋が卸しません。こちらのコースでは、すばらしいオプションが 備わっています。「スタッフさんによる進捗確認」サービスです。
時間を指定すると、施設のスタッフさんが部屋へとやってきて、「原稿の進み具合はいかがでしょうか?」と尋ねてくれるのです。もちろん、今やっている原稿は、出版社に提出するものです。たとえこれが完成しなかったとしても、施設のスタッフさんは何も困りません。つまり、この進捗確認はプレイです。
しかし、「虚構の編集担当氏」からの声かけであっても、やはり他者の存在があると身が引き締まります。なんなら、原稿を読んで感想まで伝えてくれたりもするそうです。
「まだお見せできる段階ではないのですが、なんとか進めております…」
スタッフさんにそう告げ、再び原稿へと突入します。
このサービスを、私は何度も利用しました。スヌーズ機能みたいでした。
「缶詰の開け方」に真理を見つけたり