【極上のテレワークVol.5】電車とバスの博物館で旅気分のテレワークを
2020年の新型コロナウイルス感染症拡大による緊急事態宣言発出以降、多くの企業で導入・実施されたテレワーク。確かに、オフィスより自宅は気楽。だけど、もっと居心地が良くて、もっと創造性を刺激し、もっと仕事がはかどるようなテレワーク環境があるはず…。
そんな、至高のテレワーク環境を探し求め、全国各地のテレワークスポットを文筆家・ワクサカソウヘイさんが体験レポートをしていきます。第5回は、東急電鉄「電車とバスの博物館」のシェアオフィスでいい旅夢気分のテレワークです。
「落ち着きのなさ」が許されるテレワークスポットはないものか
まったくもって、落ち着きのない人生を送ってきました。
私ことワクサカソウヘイは、いわゆるフリーランスという業務形態で生計を立てています。そう、自由業です。タイムカードのない世界で生きています。
こうなると、当たり前ですが、自分の就労時間管理は自分で行うことになります。朝起きたら、すぐにPCに向かい、作業に没頭します。そして日が暮れるまで、集中してタスクをこなします。
…と、言いたいところですが、そのようなことには悲しいかな、まったくなりません。
まず、朝起きても、PCに向かうまで2時間はダラダラします。お茶を飲んだり、漫画を読んだり、壁紙にハエトリグモを見つけて「眼がたくさんあるなあ」と思ったり。
気づけば、もう昼前です。そしてやっと机の前に座って、ようやく作業スタートかと思いきや、PCモニターの拭き掃除を始めたり、先日楽しんだ旅行の写真をスマートフォンでぼんやりスクロールしたりします。意味なくベランダに立って外の景色を眺めていると、路上を走るタヌキを目撃して「タヌキだ!」とシナプスを使ってなさすぎる感想を叫んだり、急にアイスが食べたくなって冷凍庫を漁りはじめ、しかし見つけることはできず、ハッと気づけばうどんをすすっていたりします。
落ち着きがない。まったくもって、落ち着きがないのです。作業はもちろん、恐ろしいほどに進みません。
ですから私は、自分の頬を叩くようにして、外界へと飛び出します。そして集中できる環境を求めます。テレワークです。
ところが、そうやって自宅ではない場所で、だいたいは近所のファミレスとかで、いざテレワーク開始となっても、やっぱり落ち着きのない自分がいます。何度もドリンクバーへ行ったり、ほかのお客さんの会話に聞き耳を立てたり、ハッと気づけばうどんをすすっていたり。
私はどうも、同じ位置に座り続けることが苦手な人間のようなのです。気分に応じて席を転々と移動できれば良いのですが、ファミレスにそのような自由度はありません。
ああ、どこかに落ち着きのない私を受け入れてくれる、「ウロウロしたい人、ウェルカム!」的なテレワークスポットはないものか。
そんなため息を吐く私に、とある筋からの情報が舞い込みました。「落ち着きのない者にとってのサンクチュアリ」と呼んでも差し支えのない、夢のような場所が存在する、と。そこは東急電鉄が運営する施設で、他と一線を画す空間演出が施されたテレワークスポットとして大変人気を博している、というのです。
赴くしかありません。そんなことを聞いたら、赴くしかないではありませんか。
早速私はバタバタと落ち着きなく支度をして、東急田園都市線に乗り込みました。
電車を降りたら電車があるテレワークスポット
東急田園都市線宮崎台駅で降り、歩いてすぐ。そこにあったのは「電車とバスの博物館」でした。
そうです、子どもの頃に一度は訪れたことがあるでしょう、いわゆる交通系博物館です。
テレワークスポットがあると聞いたのに、なんで目の前に博物館があるのでしょうか。私はタヌキに化かされたのでしょうか。
いいえ、化かされてなどいません。この「電車とバスの博物館」のB棟・キッズワールドは、現在シェアオフィス「TSO DENBUSワークスペース」として暫定活用されているのです。
入場口は、駅の自動改札仕様となっています。入退室管理アプリ「Suup」のQRコードを読み込み、中に進むと、そこには確かに「シェアオフィス」然としている景色が現れました。
それは、かなり大胆な発想です。かつて子ども向けだった空間を、働く大人向けのテレワークスポットへと模様替えするなんて。
博物館で、電車とバスで、そしてシェアオフィス。なんだかちぐはぐしています。落ち着きがありません。「落ち着きのない者にぴったり」と聞いてきたのに、当の施設が落ち着いてなくてどうするのでしょう。一抹の不安がよぎります。
でも、このサービスを2021年8月より始めてからというもの、ここをテレワークスポットとして利用する人は絶えないそうなのです。本当なのでしょうか。
モハ510形でさまよいながら仕事をする
早速、施設内に展示されている、モハ510形の車両に乗り込み、作業を開始しました。すると、抱いていた不安や疑問は、いっぺんに吹き飛びました。
落ち着く。めちゃくちゃに、落ち着くのです。
上質なシートの座り心地、やわらかな車内灯、そして歴史を感じさせるシックな雰囲気。「これで落ち着かないほうが無理」というほどに、そこは情緒にあふれていたのです。机の高さもちょうどいい。Wi-Fiの電波も強い。掃除も行き届いていて、清潔感に満ちている。気がつけば、みるみる集中力を高めている自分がいました。
すばらしいことに、かゆいところに手が届く感じで、足元に電源が設置されています。つまり、車内の至る所を移動しながら、作業をすることができるのです。
落ち着きのない私は、普段の生活の中で鉄道に乗っているとき、車内をウロウロ歩きながら考え事をしてしまう癖があるのですが、ここではそれをノートPC付きで、大手を振ってやってもいいのです。不審者扱いされる心配もありません。
モハ510形の中を移動しながら作業と思案を繰り返しているうち、いつの間にか先頭の運転席近くのシートに座っていました。電車の隅のスペースって、どうしてこんなにも落ち着くのでしょう。実際、ここは特等席で、この施設内でも一番人気のある席だそうです。
YS-11の副操縦士として仕事をする
あれ、これはどうしたことでしょうか。
さっきまで電車の中にいたと思ったら、こんどは飛行機の中で作業をしています。
TSO DENBUSワークスペースは、館内のあらゆるところに電源と机を配備しているのです。ですから、こちらの施設においてモハ510形と並ぶ目玉展示である、戦後初の国内旅客機YS-11の中でもテレワーク可能なのです。
かなりミニマムな空間ではあるのですが、それがかえって気を引き締めます。集中力の高度は、より上昇していきます。
いかにも精密そうなスイッチやレバーやらの姿が見えます。コックピットの脇のシートなのです。カチャカチャとキーを叩いていると、なんだか敏腕副操縦士になったかのような気分を味わえます。
自分がもし今誤字でも打とうものなら、急速に機体は下降、「ハローハロー、こちらYS-11、非常事態発生、応答せよ応答せよ」といった感じです。なにを言っているのかは自分でもよくわかりませんが、とにかくたいした気になれます。
電車でダウナーに、飛行機でアッパーに
「おもしろいな」と思ったのは、電車の中での作業と、飛行機の中での作業は、なんというか情趣のようなものが異なるということです。
電車の中では、とても穏やかな気持ちでキーを打つことができます。安心感に包まれながら、少しゆるんだ心地で作業に取り組むことができます。それに対して飛行機の中では、隙間なく集中しようとなる気概が現れます。
どちらも落ち着いた空間であるという点は共通しているのですが、電車はダウナー系で、飛行機はアッパー系という差異があるように思えるのです。乗り物の空気感には、それぞれの「人格」があるということなのでしょう。
その情趣の変化を味わいながら、仕事を進めていきます。電車から飛行機へ、そして飛行機から電車へと、気分に任せて作業場を乗り換えながら、テレワークは続くよ、どこまでも。実際の移動範囲はごく狭いものなのに、なんだか旅をしている気分にもなってきます。
電車と飛行機を乗り継いで、ふかふかのキャンプ場へ
そして、なんということでしょう。TSO DENBUSワークスペースは、落ち着きのない者たちの気分を受け止めるがごとく、さらなる異空間を用意しているのです。
キャンプ場です。屋内だけれどタープが張られ、ランタンに灯がともる、キャンプ場を模したエリアが設置されているのです。
そこは、アウトドアに擬態したインドアの空間。人工芝が敷かれているので、靴を脱いでの作業が可能です。耳を澄ませば、川のせせらぎ音と小鳥の鳴き声がBGMで流れています。この演出、普通に心がだまされます。リラックス心地になります。
合間にブレイクコーナーで電車の運転シミュレーターを試して、急に童心に帰ったりすることも可能です。もちろん、シェアオフィスの使用料さえ払っていれば、やりたい放題です。子どもの頃は、列の順番待ちをしなければ体験することのできなかった運転シミュレーター。それを気が済むまで加速したり、減速したり、停車したりしていいのです。休息を兼ねた現実逃避先としては、実にちょうどいいサービスです。
落ち着きなく動いて、落ち着きを見いだす
館内には持ち込みの食事をとることのできるブレイクコーナーがあり、長時間の滞在に対応しています。私は近くの東急ストアで買ってきた駅弁の蓋をとりました。電車を経て、飛行機を経て、そしてキャンプ場を経た上での駅弁ですから、テレワークに来ていながらも謎に旅情が高まりました。
こういった感じで、さまざまな空間にさまざまな気分と連れ立って停留できるので、よどみなく作業を進められました。これは自宅やファミレスにいる自分では、考えられないことです。
テレワークは、電源とWi-Fiがあればどこでもできるというわけではありません。空間設計の在り方によって、集中力やモチベーションは大きく左右されます。私は落ち着きのない性格を自覚している者ですから、無理矢理に自身を縛り付けるため、これまでは一極的な場所にテレワークスポットとしての価値を見いだしているところがありました。
でも、今日ここにきてわかりました。多極的で、ウロウロとできる場所のほうが、私の性質には合っているのです。空間のチャンネルが豊かだと、そこで育む作業に対しての意識も豊かになるのです。
落ち着きなく場所を転々と変えることで、落ち着いて作業をする。TSO DENBUSワークスペースは、噂にたがわぬ、集中力が欠けがちな者にとっての楽園とも呼ぶべきテレワークスポットだったのです。
なんならこの原稿も、5割は、TSO DENBUSワークスペースで書きました。
<施設紹介文>
電車とバスの博物館「TSO DENBUSワークスペース」
東急電鉄が運営する、電車とバスの博物館B棟を使用したシェアオフィス「TSO DENBUSワークスペース」は、2021年8月1日(日)から営業を開始。1年間の暫定活用予定だったものの、リピーター率80%と大好評のため営業延長中。営業時間は9:30~17:00で木曜定休日。利用の際には入退室管理アプリ「Suup」を登録し、入口に設置されているQRコードを読み込んで1時間/250円を支払う(1日最大1,250円)。月額使い放題プラン(月額8,000円)もある。
※「QRコード」は株式会社デンソーウェーブの登録商標です。
電車とバスの博物館
撮影/髙橋 学(アニマート)
執筆者プロフィール