お弁当ハンター・阿部了さんの「普通の人のお弁当から見えるもの」
ごろんとした大きなおにぎり。色とりどりのおかず。ぎっしり詰まった白いご飯に梅干し…。十人十色のお弁当と正面を向いて立つさまざまな表情の人たち――。
市井に生きる普通の人と、その普通のお弁当を撮影する阿部了さんの写真に思わず見入ってしまうのは、並んだ2枚の写真からその人の人生が透けて見えるような気がするからかもしれません。
誰もが生きて働き、食べてまた生きている。
お弁当の写真を通して、人々の当たり前の営みを伝える、お弁当ハンター・阿部了さんの世界観をのぞかせていただきました。
お弁当の個別感と特別感を撮りたいと思った
――お弁当って、すごくプライベート感がありますよね。
阿部さん(以下、敬称略):
お弁当には、昨晩の残り物が入っていたり、そのご家庭にとっての定番おかずがあったり、人間といっしょでどれひとつとして同じ物がないですよね。ずっと普通なんだけれど、どこか特別感があって、その人だけの物って感じがします。
――阿部さんが「お弁当を撮ろう」と思ったきっかけは、何だったのでしょう。
阿部:
1989年に、友人とその部屋をモノクロの写真で撮影しました。ありのままを撮ったのですが、そこに写る本や家具、友人の様子にはたくさんの景色が見えました。 それで、10年後にまた同じ友人に声をかけて、同じように部屋で写真を撮らせてもらったんです。 結婚や仕事の都合で部屋が変わった人もいれば、同じ部屋に住み続けている人もいて、写真に写らない10年という年月が、さらに想像をかき立てる感じがしました。
1989年と1999年に撮った2枚を並べて「四角い宇宙」という写真展を開催した際、なかなか人には見せない、見たいけど見せてとは言いづらい、 お弁当とそのお弁当を食べる人を並べて見せたらおもしろいんじゃないかなとひらめいたんです。
左が1989年、右が1999年当時の部屋の写真。普通の人の普通の部屋にさまざまな想像がかき立てられる。
――元々、食に興味があったのですか?
阿部:
僕は最初からカメラマンを目指していたわけではなく、中学卒業後に国立館山海員学校(現在の国立館山海上技術学校)を出て、機関員として気象観測船で働いていました。 そこで、船員の夜食を作る機会があり、シェフに教わっているうちにだんだん料理に興味が出てきて…。思い切って料理の道に進もうと、機関員を辞めてフランスでシェフをしている親戚を頼って、欧州に渡りました。
ある日、その親戚が「せっかく来たんだから」と旅行をすすめてくれたので、3ヵ月ほどあちこちを旅しました。旅先では、「写真を撮ってきて見せてほしい」と母方の祖父に託されたカメラが会話の糸口となって、 たくさんの人の豊かな表情を撮ることができました。そのときの経験がきっかけで、帰国して本格的に大学に入ってカメラの勉強を始め、現在に至るのですが、趣味として料理もずっと好きですね。
手際よくお弁当を作る阿部さん。
フリーランスのカメラマンとして独立したばかりの頃は、まだあまり仕事がなかったので、当時は彼女だった妻にお弁当を作って届けたこともありました。急に思い立って、職場まで(笑)。 そんなことが2回くらいあったかな。今日僕が作ったお弁当も、そのときのおかずを思い出しながら再現してみました。
取材日は、奇しくもご夫婦の結婚記念日。阿部さんお手製の家族3人分のお弁当。愛用のお弁当箱は、静岡の名品「井川メンパ」。
煮込みハンバーグとしそ味噌は、僕のおふくろの味です。焼きたらこは、生のたらこを冷凍してから焼くと、好みの半熟状になります。子供のころ、年末の縁起物として食べていた塩引き鮭もお弁当によく入れますよ。
あとは、ゆで卵。卵焼きも好きだけれど、ゆで卵がお弁当に入っていると、太陽みたいで好きなんですよね。
お弁当の撮影は、結果ありきでないところがおもしろい
――友人のお弁当ですら「見せて」と言いづらいもの。一般の人にお弁当の撮影を依頼するのはなかなか大変だと思うのですが…。
阿部:
最初は、雑誌の企画でもなく、書籍化する予定もなかったので、「お弁当を撮らせてください」と依頼しても、お相手の反応は「え?」という感じでしたね。それでも快く受けてくれる人もいて、
何人か体当たりで撮らせてもらっているうちに、「この企画はいける」と思わせてくれた出会いがありました。それが、群馬県吾妻郡で集乳の仕事をされている土屋継雄さんです。
土屋さんのお弁当は、大きなおにぎり。お椀にラップを敷いて海苔を置き、ご飯とおかずを入れて口を閉じたら、ぎゅっと握ります。集乳の仕事は朝早いから、すぐに作れて、仕事の合間に食べられて、
ちゃんとおなかに溜まる物が良いわけですね。1つのおにぎりに、ドラマが詰まっているなと思いました。
家に帰って妻(フリーライターの阿部直美さん)に話したら、すごくおもしろいと。実際にお会いして話を聞いて、書いてみたいと言ってくれたので、そこから娘も連れて3人で取材に行くようになりました。
――そうして家族で全国を回る「お弁当の旅」が始まったのですね。
阿部:
いつかは写真集や写真展といった形にしたいと思いながら、なかなかそういう場が作れないまま、日本各地を巡りました。何の後ろ盾もない依頼でも、たくさんの人が撮影に協力してくれて、本当にありがたかったですね。 だいたい80人くらい撮り溜めたころ、木楽舎という出版社の小黒一三さんが興味を持ってくれて、2007年からANAの機内誌「翼の王国」の連載につながりました。
年末に帰省で家を空けていて、帰ってきたらFAXで連絡が来ていて。こんなに大事なことなら電話をしてくれればいいのにと思ったけれど、「これまで撮影させてもらった人たちに、やっと良い知らせができそうだ」と思ってうれしかったです。
奥さまでフリーライターの阿部直美さんとの代表作「おべんとうの時間」は、フランスや台湾、韓国、中国など海外でも書籍化されている。
――最も思い出に残っているお弁当はありますか?
阿部:
一つひとつ、全部が思い出深いので、どれかひとつというのは難しいですね。「さあ撮影」と意気込んでお弁当箱を開けたら何も入っていなかった、ということはありましたね。
同じお弁当箱が2つあって、洗って置いておいたほうを持ってきてしまったんでしょう。
撮影があるからと張り切って、いつもより豪華なお弁当を持ってきてくれる人もいます。本当は普段どおりの、普通のお弁当が良いんだけど、それもその人や、作った人のありのままの気持ちですからね。
気合を入れすぎてお重だったらさすがに詰め直してもらうかもしれないけど、基本的にはそのままを撮らせてもらっています。
この撮影は、その場に行って、お弁当とそれを食す人に会ってみないとどうなるかわからない。結果ありき、答えありきでないところが、この仕事のおもしろさですね。
希望や期待をのせずに、ありのままを撮る
――お弁当の写真を撮るときのこだわりを教えてください。
阿部:
お弁当を撮影させていただく人が住む土地の、午前中の光で撮ること。あまり作り込むときれいになりすぎちゃうから、自然な光で撮っています。被写体になる人のことも事前に調べたりしないで、ありのままを見るようにしています。
こうあってほしい、という思い入れがあると作り手側の色がついてしまうでしょう。僕らがまっさらな状態でいたほうが、その人の本当の魅力を感じられると思うんです。
あとは、日本製のシノゴ(45)の大判フィルムカメラで撮ること。カメラをその場で組み立てて、布で覆ってシャッターを切るんです。僕は、写真は紙にしてナンボだと思っていて。
お弁当の写真展をモノクロでやったこともあるんですよ。
不思議なもので、モノクロでもお米の質感とかおかずの色合いが見えてくるような感じがして、カラーとはまた違った良さがありました。
――阿部さんにとって、「お弁当」とは何ですか?
阿部:
お弁当とは何か…。うーん、あらためてそう言われると難しいですね(笑)。ひとつ言えるのは、お弁当は僕にとってひとつのキーワードで、お弁当を通じた人との出会いこそがおもしろいということ。
初めにお話ししたとおり、どのお弁当もみんな違っていて、食べる人にもそれぞれ違う人生があるわけですから。これからもお弁当を入り口にして、いろいろな人の人生が詰まったお弁当に出合っていけたらいいですね。
※2020年8月に取材しました
<プロフィール>
阿部了(あべ・さとる)
写真家。2000年から日本中を回って手作りのお弁当と、食べる人のポートレートを撮影する旅に出る。2007年4月号のANAの機内誌「翼の王国」に「おべんとうの時間」として発表(現在も連載中)。 2010年には「おべんとうの時間」(木楽舎)が書籍に(1-4巻最新刊)。初の写真集「ひるけ」、2011年からはNHK「サラメシ」にて、お弁当ハンターとしても出演中。
執筆者プロフィール