「得意なやり方」が大切。アニメ監督・河森正治が考える創作の方法論
アニメーション監督やメカニックデザイナーとして、「超時空要塞マクロス(※1)」「創聖のアクエリオン(※2)」など、数々のヒット作を生み出している河森正治さん。企画や原作、舞台演出、メーカーとのコラボレーションなど、業界・ジャンルを問わず、さまざまなコンテンツ産業で活躍しています。また、2025年に開催予定の大阪・関西万博(2025年日本国際博覧会)の、テーマ事業プロデューサーにも就任されました。
マルチに活躍し、総合的な役職として「ビジョンクリエイター」と名乗る河森さんの創作スタンスは、どのように育まれたのかお伺いしました。
※1 1982年に放送された日本のSFロボットアニメ。河森さんがデザインした、飛行機がロボットに変形する可変戦闘機バルキリーという架空兵器が登場し、人気を集めた。
※2 2005年に放送された日本のSFロボットアニメ。「合体」というテーマによって、メカだけでなく立場の異なる人々が心通わせる様も描かれた。
意外性のあるもの同士が引かれ合い、スパークする瞬間を求めて
──アニメーション監督としてだけではなく、さまざまな業界で活躍する河森さんですが、ゼロから創作することについて意識したのは何歳ぐらいでしょうか?
河森さん(以下、敬称略):
幼少期から好奇心が強かったことは間違いないですね。明確に創作に対する意欲を抱いたのは、小学2年生ぐらいでしょうか。その頃から、「人と同じ物は作ってはいけない」という強い気持ちがあって、説明書があれば誰でも完成させられるプラモデルを作るのは負けだと、勝手に思っていました(笑)。
──既製品を作らないという気持ちは、なぜ生まれたのでしょうか?
河森:
僕は3歳のときに、当時、日本の秘境と呼ばれた富山の奥地から、最先端都市ともいえる横浜に引っ越しました。それは、世界が変わるほどの大きな体験でした。秘境の奥地から大都会ですからね。目にするものも手にするものもまるで異なる、予測できない変化を感じることができたんです。このカルチャーショックが、「誰も見たことのないものを作りたい」という創作の原点にあると思っています。
創作するときによく感じるのは、「山の頂上を目指そう」ではなく、「山の向こう側を見たい、見せたい」という感覚です。これは、3歳の引越しで得た原体験が、強く影響していると思います。
──作り方の説明書があるものには興味がないということですか?
河森:
「すでに誰かが考えたものを完成させたい」という欲求はほとんどありません。僕は、まったく関係のないもの、意外性のあるもの同士が引かれ合い、そのあいだにスパークが飛ぶ瞬間や、つながるその一瞬が好きで、そこにすごく惹かれるんです。
──思い返してみると河森さんが携われたアニメーション作品「超時空要塞マクロス」は、まさに意外性のあるもの同士のつながりでできていますね。歌で戦争を終わらせる、飛行機がロボットに変形するなど、すべて意外性があるもの同士のつながりです。
河森:
そうですね。ですから、マクロスシリーズに関していえば、35年以上前の、最初の「超時空要塞マクロス」で、ベースとなる設計図(話の構造や設定などの構成要素)はほぼ完成していました。僕としては、スパークする瞬間を十分に堪能できたわけですから、完成してしまうということは、自分の創作意欲の根幹がなくなるともいえます。その前提でシリーズを作り続けるのは、自分にとって苦行なんですよ(笑)。もちろん、その分、同じコンセプトをどうやったら新鮮に見せられるかを考える楽しみもあるわけです。
しかし、マクロス以外の作品であれば、違うアプローチで「つながり」を追求できます。例えば「創聖のアクエリオン」は、合体ロボットアニメではなくあえて「合体アニメ」と呼びました。すべてのエピソードにおいて、関わりのないもの同士が合体し、変容すること、新しいつながりそのものをテーマにしたんです。
一見、関係性がないと思えるもの同士が引かれ合い、スパークする瞬間が好きだと語る河森さん。
──ご自身の創作に対するスタンスを鑑みたとき、アニメーションというジャンルを選ばれたのは、当時の状況も大きく影響しているのでしょうか?
河森:
1970年代後半から1980年代にかけて、アニメーションというジャンルは、非常に勢いがありました。創作の題材というと、漫画も選択肢に入ると思いますが、自分が10代の頃でも、漫画はもう成熟した段階に入りつつありました。その一方で、アニメはまだ手探り状態で、可能性に満ちていたんです。
また、自分が所属していたスタジオぬえ(※3)は、とても自由で、センス・オブ・ワンダー(※4)に価値を見いだそうとするグループだったことも大きかった。それゆえ、好き勝手にやらせてもらえたんです。
※3 1974年に設立した、アニメーション企画会社。
※4 SF作品や人智を超える自然現象などにふれることで得られる、不思議な感動や心理的な衝動などを表現する言葉。
──意外性を求める河森さんの創作姿勢は、集団創作であるアニメーションとは相容れない部分もあるのではないでしょうか?
河森:
それはあります。ただ、自分に得意なものがあると理解している反面、不得意なこともたくさんあることもわかっているんですよ。自分よりうまい人がいるなら、任せたほうがいい。これは学生時代に、才能にあふれた仲間たちに囲まれていた影響が大きいです。
女の子描かせたら抜群にうまい人、漫画がずば抜けてうまい人、車を描かせたら絶対かなわない人…。そういうメンバーに囲まれていたので、「自分が全部やる」という感覚はありませんでした。だから、「自分の得意なやり方」に特化できたんだと思います。
「好きなこと」ではなく「得意なやり方」を見つける
──創作することが「好き」ではなく、「得意」だったということでしょうか?
河森:
ええ、これは学生向けの講座でもよく話しているのですが、「好きなこと」ではなく「得意なやり方」でやり続けることが大切だと思うんです。昨年、クリエイター生活40周年を迎えて、「河森正治EXPO」を開催しました。
そこで、「好きなことを仕事にして40年」というエピソードを話している最中に、「あれ?本当に好きなことだったっけ?」と疑問を抱いたんですよ。それこそ、自分が一番好きなことって、宇宙開発でしたから。
──好きなだけでは継続できないということですか?
河森:
サッカーが好き、歌うことが好き、絵を描くことが好き。でも、プロになれなかった、生活手段にならなかった、という人がたくさんいる中で、「好きなことをやりましょう」というのは横暴じゃないですか?では、自分はなぜ40年続けられたかといえば、「得意なことをやってきたからだ」と一度は思って、そこから「得意なことじゃないな。得意なやり方だな」と、思い直したんです。「好きなこと」と「得意なこと」は同義になりやすいので、これは「やり方」と言い換えなければ間違えてしまうなと。
学生向けの講座では「得意なやり方」を見つけるように話すという。この話に一番納得して聞いてくれるのは、中学生くらいのかなり若い世代とのこと。
──「こと」と「やり方」が違うと、大きく変わってくるのでしょうか?
河森:
これは陥りやすいんですよ。「こと」の場合は、例えばサッカーが「好きなこと」「得意なこと」だとするじゃないですか。それが趣味なら構いませんが、生活手段と考えると選手権で優勝したり、プロになったりしなければ、意味がないといわれてしまうでしょう。でも、なぜサッカーをやり続けられるかを「やり方」で解析していくと、作戦を考えるのが得意、集団でのコンビネーションが得意、人の動きを全体で見渡すのが得意…といった要因が見えてきます。その「得意なやり方」を理解していれば、取り組むジャンルが変わったとしても、スポーツではなくても応用が利くと思うんです。
──自分にとって苦ではない方法論を見つけることが大切なんですね。
河森:
そうです。「得意なやり方」はそれこそ得意なわけですから、持続することも苦じゃない。得意ということは効率が良くて成果も高いわけですから、それは他者の利益にもなります。
一方で、いくら「好きなこと」でも、効率が悪くて結果が出なければ難しい。もちろん「好きなこと」と「得意
なやり方」が合致する領域にまで行けば、一番ハッピーですよね。自分は「得意なやり方」と、一番ではないけど「好きなこと」がある程度重なっていたからこそ、継続することができたんだと思います。
──河森さんの「得意なやり方」は、具体的にはどのような方法論なのでしょうか?
河森:
自分の得意なやり方は「デザイン思考」です。デザイン思考とは、一概に絵を描く、カタチをデザインすることだけではありません。何かに形を与えることに対して、用途や目的、そして思いすらも解析して構造を理解し、新たに生み出すことで取り組んでいくことです。
自分は、演出やシナリオは誰にも習っていないので、デザイン思考で構築していますから、一般的な演出論やシナリオ論とは違うアプローチで成立させているんです。ジャンルが違っても、「得意なやり方」でやっているにすぎません。
──なるほど。「得意なやり方」だから応用が利くわけですね。
河森:
その中でも、「視点を変えること」「かけ離れたものをつなぐこと」「たくさんのパターンを出すこと」という自分の特性は、デザイン思考と非常にフィットしやすかった。こうした特性も、継続できた要因だったと考えています。また、自分がとてもラッキーだったのは、企画原作開発からアニメ化、商品化に至るまでのすべてのプロセスを、10代のうちに体験できたことでしょうね。
アニメーションでのデザイナーという立場は、シナリオから絵コンテまで、すべてを見ることができる。早い段階から全体像を見るトレーニングを積むことができたことは、自分の「得意なやり方」を進める上で、目的意識や参加意識にも大きく関わっていたと思います。
動植物の多様性を知ることで、人の多様性を理解する
──河森さんが手掛ける最新のトピックとしては、2025年日本国際博覧会のプロデューサーに就任したことが話題ですね。
河森:
万博には、とても強い思い入れがありますね。1970年の大阪万博(日本万国博覧会)に行っていなければ、多分プロにはなっていなかったでしょう。小学校5年生の春休みに3泊4日で訪れて、入場ゲートをくぐったら、すぐ親と別れて一人で会場を回ったんです。全116のパビリオンのうち、80館以上は回ったと思います。そのときに、本でしか読んだことのない、最先端のものやいろいろな国の文化に疑似的にふれることができたわけですから、その刺激は忘れられないですね。
1970年の大阪万博を体験し、感動した少年が、2025年の大阪・関西万博を創る側へ。俄然、創作意欲がかき立てられる。
──2025年日本国際博覧会で、河森さんご自身はどのようなテーマを担当するのでしょうか?
河森:
自分は「いのちを育む」というテーマのもと、宇宙、海洋、大地を担当することになりました。これは、普段自分が手掛けているメカ系とは異なるジャンルなので、とても興味深く取り組んでいます。
結局、普段と同じことを担当してしまうと、自分自身を活性化するのは難しいですからね。こうした、普段とは真逆のジャンルを担当させていただけるのは、非常にありがたいことです。
──今度は参加する側ではなく、送り出す立場になりましたが、どのようなことを考えていますか?
河森:
1970年から約50年が経過しているわけですから、当時のような展示をしてもあまり意味はありません。まだ模索している最中ではありますが、今日お話しした「得意なやり方」を活かすという考え方は、展示コンセプトに盛り込んだほうが良さそうですね。
「動物や植物たちがそれぞれ得意なやり方って何だろう」と考えることで、生物の多様性が見えてきます。そうすると、個々の人間が持つ多様性が見えやすくなるのではないかと思っています。これまで、いわれている多様性は、ファッションに近い部分がありました。多様性をうたいながらも、他者に対して「そのやり方はダメ」「それじゃダメ」っていう社会は本末転倒じゃないですか。個人の特性の違いを認めるのが多様性のはずなのに、結局は自分の「得意なやり方」を押しつけているにすぎません。だからこそ、動植物の多様性に対してもう少し目を向けてもらえると、人々の多様性の受け入れ方や解釈がもっと広がって、多様性についてあらためて考えてもらえる機会になるのではないかと思うんですよ。
──2025年に、万博で河森さんがどのような答えを出すのか、とても楽しみです。
河森:
まだ、頭の中でひらめいた段階ですけどね(笑)。どう盛り込んでいくのかはわかりませんが、何もない段階からテーマの構築に携われたのは、とてもありがたいことです。
具体的に言語化はできていませんが、「ここはあえてチャレンジしたほうがいい」と、あらためて感じています。楽しみにしていてください!
※2020年8月に取材しました
<プロフィール>
河森 正治(かわもり しょうじ)
1960年、富山県生まれ。アニメーション監督、企画、原作、脚本、デザインを生み出すビジョンクリエイター。学生時代にアニメーション作品「超時空要塞マクロス」の原作に関わり、同作品に登場する可変戦闘機バルキリーという画期的なデザインを生み出す。さらに、23歳で劇場作品「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」の監督に抜擢される。以後、「アクエリオン」シリーズや宮沢賢治を題材とした「イーハトーヴ幻想 KENJIの春」などを送り出す。アニメ作品のみならず、舞台やVR、プロダクトデザインなど、幅広い分野で活躍。2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)のプロデューサーに就任することが発表された。
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