お金の歴史を知ろう!現在のお金ができるまで

今、地球上に生きている動物の中で、「お金」を使うのは人間だけです。しかし、人間も昔からずっとお金を使っていたわけではありません。
いつから今のようなお金を使うことになったのか、お金を軸に歴史を紐解いてみましょう。

お金はどうやって生まれた?

お金というのは、それ以外の物品に比べて説明が難しいものです。それだけで何かができるわけではなく、何かと交換するためだけに存在している「お金」という概念は、どのようにして生まれたのでしょうか。

お金がないころの商取引

お金という概念がない時代にも、人々は「お互いの持ち物を交換して互いに利益を得る」ということをしていました。
山に住んでいる人は魚を手に入れることができませんし、海に住んでいる人は木の実を手に入れることができません。これは極端な例ですが、このように、互いに自分が持っている物と、手に入れにくい物を交換することで、より生活を豊かにしていくということは、はるか昔から行われていました。

物品貨幣の登場

物々交換をすれば、お互いに欲しい物を補完し合うことができます。しかし、物々交換には難しさもあります。例えば今、高級腕時計を持っている人が「ティッシュが欲しい」と思ったからといって、腕時計とティッシュを交換することはないでしょう。これでは価値が釣り合わず、損をしてしまうからです。

また、この人が「ハンカチも持っていたから、それをティッシュと交換してほしい」といったとしても、ティッシュを持っている人が「私はハンカチはいらない」という場合、取引が成立しません。このように、物々交換には「物の価値が釣り合わない」「ニーズが合致しないと取引が成立しない」という難しさがあります。

そこで、誰にとっても一定以上の価値を持ち、持ち運びがしやすいものを物々交換の対価にするという行為がスタートしました。これが、「物品貨幣」と呼ばれるものです。

貝がお金になっていた⁉

物品貨幣として利用されるものは、おもに布、塩、砂金、貝などでした。これらは、当時、誰にとっても価値があり、また、その価値が変動しづらいとされていたものです。
特に、紀元前16~8世紀頃、貝は中国で広く貨幣として利用されていました。「購(入)」「貯(金)」「財(力)」など、お金に関する漢字に「貝」が使われることが多いのはこのためです。

物品貨幣は金属から紙へ

物品貨幣は物々交換よりも優れたものでしたが、質の悪い砂金が出回ったり、破損や腐敗といった問題が出たりすることもありました。
そこで、自然物ではなく金属で作られた物品貨幣が広く使われるようになっていきます。

金属の貨幣

紀元前8世紀頃の中国では、農具や刃物などをかたどった金属貨幣が流通していました。金属は今もお金の材料として使われていますが、コイン型になるのはもう少し後のこと。紀元前7世紀頃、現在のトルコで作られた「エレクトロン貨」が、金属の貨幣の起こりだといわれています。

紙幣の誕生

10世紀頃の中国で、金属ではなく紙に印刷された、現在の紙幣のようなものが誕生します。「交子」と呼ばれるこの紙幣が、世界で最初に生まれた紙幣だといわれています。
交子は銅銭の絶対量が不足していたことや、中国の印刷技術や製紙技術が発達していたことなどから誕生しました。

日本のお金の歴史

次に、日本のお金が今のお金になるまでの歴史を振り返ってみましょう。

日本最初の貨幣は和同開珎?富本銭?

「日本で最初の貨幣は708年に作られた和同開珎(わどうかいほう・わどうかいちん)である」というのが定説でしたが、近年では、これよりも前に貨幣があったという説があります。

まず、600年代後半に作られた富本銭(ふほんせん)というコインが、奈良県や長野県で発見されました。これは、実際に見つかっていますので、貨幣のような形の富本銭が存在していたこと自体は事実です。しかし、ただそこにあったということだけでなく、実際に流通していなければ、貨幣と呼ぶことはできません。富本銭が実際に貨幣として利用されていたのか、それともまじないなどのときに利用されていただけなのかは、いまだはっきりしていません。

さらには、無文銀銭(むもんぎんせん)という、富本銭より古いコインも発見されています。これは、大阪、奈良、京都、滋賀など、関西の広い地域で見つかっていますが、和同開珎や富本銭ほど整った形はしておらず、重さもまちまちで、数もそれほど多くありません。

中国のお金を日本で使う?

和同開珎のような独自の貨幣を作っていた日本ですが、その後、材料の不足などを理由に貨幣の質が落ちたことから、だんだんと使われなくなります。一度すたれた貨幣が再び日本で貨幣が使われるようになるのは、12世紀以降、渡来銭と呼ばれる中国の貨幣を輸入するようになってからでした。

その後、渡来銭の絶対量が不足したことから、日本国内でも再び貨幣が作られるようになります。これらの貨幣は、渡来銭に似せて造られており、「びた銭」と呼ばれました。

各地で作られた独自貨幣と通貨統一

16世紀になり、戦国大名たちがそれぞれの領地内で、領国貨幣と呼ばれる独自の貨幣を作り始めます。しかし、このような領国貨幣は、徳川幕府によって作られた貨幣が全国に流通することでなくなっていきます。

1601年に徳川家康が「慶長金銀貨」を発行した後、1636年には、昔のお金として目にすることも多い「寛永通宝」が造られました。1682年には寛永通宝以外の銅銭の利用が禁止され、「金貨」「銀貨」「銭貨」の3種類で成り立つ新たな貨幣制度が確立しています。

「円」ができたのは明治時代

明治政府は1871年、「新貨条例」を制定して、お金の単位をそれまでの「両・分・文」から、「円・銭・厘」に変更しました。その後、多くの国立銀行が設立され、政府発行の政府紙幣や、国立銀行発行の国立銀行紙幣などが発行されます。しかし、これでは通貨価値の変動が大きくなってしまい、経済が安定しません。

そこで、1882年に日本銀行が作られ、1885年に統一紙幣として日本銀行券が発行されることになります。これが、今の日本の紙幣の起こりです。

お金は時代とともに移り変わる

時代の在り方とともに、お金の形や使い方、発行のされ方はどんどん変化してきました。今また、新たにキャッシュレス決済という「新しいお金の在り方」が浸透しつつあります。
今後も人々の利便性を高めるために、お金の形は変わっていくでしょう。しかし、お金の在り方が変わっても、大切なのは「それをどのように使うか」ということです。毎日を豊かにするために、お金の使い方を改めて考えてみましょう。

 

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