なぜ日本人はカレーに魅了されるのか?カレーの正体に迫ります
日本の国民食ともいわれ、老若男女に愛されるカレー。日本生まれでもなければ、典型的な和食でもない。それでも私たちの食生活に当たり前のようになじみ、定番のメニューとして信頼を勝ち得ているその理由はどこにあるのでしょうか。
カレー業界の第一人者として横濱カレーミュージアムの責任者を務め、現在は市民大学「カレー大學」の学長も務める井上岳久さんに、カレーとは何か、日本におけるカレーの変遷などをお聞きしました。
日本人がカレーをこよなく信頼する理由
――メニュー選びに困ったときなど、「カレーなら間違いない」という感覚が私たちの中にあるように思います。このカレーへの信頼感は、いったいどこから来ているのでしょうか?
井上さん(以下敬称略):
不思議ですよね。喫茶店やホテルのラウンジなど、レストランではない喫茶メインの店にも必ずといっていいほどカレーはメニューにあります。なぜなら、カレーは大抵の人が頼んでくれる親しみのある料理だからです。もちろん、比較的簡単に提供ができるという理由もありますが、カレーは子供が初めて作る料理、恋人に初めて作ってあげる料理、野外で作る料理と、あらゆるシーンにおける定番料理という理由もあるでしょう。
では、なぜカレーはここまで信頼感を得られているのかというと、そもそもカレーが「失敗のない料理」だということがあります。
――失敗のない料理…確かにそうですね。特に市販のルウを使う場合は、失敗しようがありません。
井上:
そうです。失敗しない要因のひとつに、日本のカレールウの完成度の高さがあります。手軽に作れて、失敗がない料理。作れば大人も子供も喜んで食べますから、外れのないメニューとして家庭で頻繁に作られています。家庭での定番メニューとなれば、多くの人が親しみを感じるようになって当然です。
また、味覚という面から見ると、カレーには五味(甘味・酸味・辛味・苦味・塩味)がバランス良く含まれています。日本人は細かい味がわかる人が多いといいますので、食べたときに五味のバランスの良さを感じて、多岐にわたる味を楽しめるというのもあるでしょう。
――日本でカレーといえばカレーライスが主流ですが、カレー好きの理由に、白米を好んで食べる食文化も影響していますか?
井上:
まさにそのとおりで、「ご飯といっしょに食べたい」という日本人ならではの気持ちも影響していると考えられます。ちなみに、カレールウの消費量ランキングで上位に入ってくる都市の多くは、米どころとされる地域です。
――手軽さ、安心感のある味のバランス、米文化。こうした要因が重なったことで、日本人によるカレーへの絶大なる信頼が生まれたのですね。
井上:
もうひとつ興味深いことをお伝えすると、私が以前、カレーを研究する中で、多くの人が「一番おいしい」というのは、名店のカレーではなく家庭の味、いわゆる「おふくろのカレー」でした。
あまりにみんなが口をそろえていうのでどんなカレーなのか食べて調査してみると、市販のカレールウで作った、ごく普通のカレーなんです。要するに味ではない。それぞれがカレーというものになつかしい家族団欒の思い出を持っていて、そういった記憶も含めて、日本人にとってカレーが安心感や親しみ、信頼のあるメニューになっているのではと私は思います。カレーライスって、一皿をスプーン1本で食べられるので、団欒しながら食べるのに向いていますよね。
カレーって何だ?インドのカレーと日本のカレーの違い
――そもそもカレーとは、どのようなものを指す料理なのでしょうか?定義はありますか?
井上:
カレーとは、スパイス(香辛料)を調理工程において複数使用した料理、もしくは数種類のスパイスを調合したスパイスミックスを使って調理した料理の総称です。ポイントは、複数のスパイスを調理工程で使うこと。スパイスを1種類しか使わない、複数でも最後にのせるとか、混ぜるだけではカレーとはいいません。
これに照らし合わせると、例えば「麻婆豆腐もカレーに含まれるのか?」となるのですが、どこからどこまでをカレーと呼ぶか明確な定義はありません。また、日本ではスパイス料理の総称というよりも、「カレー=カレー粉を使った料理」といったイメージが強いです。
大手食品メーカーの赤いカレー粉缶を、一度は目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。あれは、30種類前後のスパイスが調合されていて、日本における定番のカレーの味になっているといえます。カレールウのベースになっているのも、カレー粉です。ただ、最近は少しずつ日本におけるカレーの概念も変わってきています。若い世代は、使われているスパイスそのものを楽しむ方向に向かいつつありますね。
――本場インドでは、カレーはいつ頃から食べられていたのでしょうか?
井上:
インドでいつ頃からカレーが食べられていたのかは、確かな資料が残っていないためはっきりとわかっていません。ただ、スパイスを食す文化としてはインダス文明にまでさかのぼり、中でも黒コショウは紀元前3000年には、すでに食生活に登場していたとわかっています。そして、5世紀に書かれた歴史書では、「カレーらしきもの」についてふれられており、9世紀の碑文(石や銅板に刻まれた文書)には、カレーのレシピのようなものが刻まれています。インドにおけるカレーの歴史は、とにかく長いということです。
――では、日本ではいつ頃からこんなにカレーが食べられるようになったのでしょうか?
井上:
日本でカレーが普及していったのは、1900年代前半のこと。明治以降の軍隊の食事で重宝されたこと、また太平洋戦争後に学校給食で食べられていったことなどから、カレーはやがて家庭料理として広まっていきます。ちなみに、当時の給食で出ていたカレーは、カレーライスではなくカレー粉を使ったスープなどでした。カレーとご飯と合わせたカレーライスが学校給食に登場したのは1970年頃と、もっと先の話になります。
――インドに比べれば歴史は浅いですが、国民食として確固たる地位を築いているのはすごいです。
井上:
そうですね。時代とともに、いろいろなカレーが生まれてきたことも興味深いのではないでしょうか。特に、2001年に横濱カレーミュージアムがオープンしたことでカレー専門店が脚光を浴びるようになり、以降、毎年のようにトレンドが変化してきました。例えばスープカレー、カレー鍋、金沢カレーなどです。これらのカレーを、ブームにのって食べた人もきっといらっしゃるでしょう。
そして2021年、現在のトレンドはキーマカレーです。チキン、マトン、ラムなど、さまざまな肉のキーマカレーはもちろん、大豆ミートのキーマ、魚介のキーマ、黒キーマに白キーマなど、ニュータイプキーマが次々と登場しています。
――カレーの新ジャンルがどんどん派生していくというのはおもしろいですね。ほかにも、最近の傾向としてどんなことがありますか?
井上:
レトルトカレー市場がここ10年程で急成長していて、2017年にはカレールウの売上額を抜いたのはご存じでしょうか。レトルトカレーの立ち位置が今、ひと昔前とはまったく変わっています。
レトルトカレーは、1968年に日本で発売され、長く食べられてきましたが、以前はレトルトというと具が小さくてさほどおいしいものでもない、あるいは非常時に食べるものといったイメージがありました。ところが、メーカーの努力と技術の進化もあって、今のレトルトカレーは名店の味と遜色ないほどおいしいものになっています。
日本には今、3,000種ものレトルトカレーがあり、地域ならではの特産品を使ったいわゆるご当地カレーが多いのも特徴です。レトルトカレーは開発コストが比較的安く抑えられ、参入が容易であることが理由にあります。高級食材を使ったレトルトカレーなどもたくさんあり、仕方なく食べるものだったレトルトカレーが、むしろちょっと贅沢して食べたいものにすらなりつつあるといえます。これは、なかなかすごい変化です。
追求してもしきれない、カレーの魅力と奥深さ
――カレーを食べると、脳内に幸せ物質が出るという説を聞いたことがありますが…。
井上:
科学的に検証されていないのでなんともいえないのですが、トウガラシに含まれるカプサイシンはアドレナリンの分泌を促しますので、活力にはつながるかもしれませんね。
ほかにも、カレーにまつわる通説はたくさんあって、例えばカレーを食べると偏差値が上がるとか(笑)!正しいかどうかは別として、それだけカレーは多くの人にとって関心が高いということでしょう。
――栄養面で考えると、カレーはどうなのでしょう?
井上:
総論としては、野菜、肉、魚介などの具材をいろいろ入れられますので、栄養バランス良く作れるといっていいのではないでしょうか。ものによっては脂分が多く、ちょっと胃もたれするようなカレーもありますが、中には油を使わずに調理するカレーもあります。
どんな食材でも合わせることができ、いくらでもカスタマイズできるのがカレーのメリットです。だからこそ、脂分を抑えたいときはそのように作れば良いですし、筋肉を鍛えている人はたんぱく質を多く含んだカレーを作って食べてもいいわけです。夕飯の残り具材や余った鍋料理をカレーにして食べることもできます。どんな人にも、どんな状況にも、合わせて作ることができるのがカレーなのです。
私自身も体調や気分、季節に合わせてカレーを食べますが、ちょっと飲みすぎた翌日に、胃に負担をかけないサラサラのさっぱりとしたスパイスカレーを食べると体がシャキッとしますね。
――カレーの食べ方に、何か決まり事や作法のようなものはあるのでしょうか?
井上:
ご飯とカレーを混ぜるべきか混ぜざるべきか、ライスは皿の右か左か…などはよく聞かれますね。でも、決まり事はありません。それぞれの好きな食べ方で良いのが日本のカレーです。
ただ、私の経験からいうと、カレー好きな人はカレー側を手前にして皿を置く人が多いように思います。あと、カレー通はカレーを一口、口に入れたら、目を閉じてスパイスを確認するケースが多いですね(笑)。
――とても身近な料理でありながら、あらためて考えると知らないことばかり。カレーの奥深さを感じます。
井上:
本当にそうなんですよ。いくら勉強しても食べても、飽きません。追求してもしきれなくて、正体がわからない。まるで底なし沼のような相手だなと私も思っています。だいたい、大学の講義として座学で学び続けられる食べ物なんてカレーぐらいしかないのではないでしょうか。
カレーに答えはないのですが、答えのない中でそれぞれが持論を持ち、真剣に熱く語り合う。そんなことができるのが、カレーという料理なのだと思います。
カレーはどこへ向かうのか
――日本のカレーは今後、どのように進化、発展していくと考えられますか?
井上:
これまで、日本人が長く親しんできたカレーは、カレー粉をベースとした料理でした。そこから今度は、スパイスを強調したカレーが台頭してくると考えています。それも、インドのスパイスカレーそのままではなく、日本人の口に合うようにスパイスを配合し、日本人なりのオリジナルのスパイスカレーがどんどん生まれてくるのではないでしょうか。
すでにその兆しはあって、ひと昔前まで、カレー粉に含まれているスパイスの名前なんて聞いたこともなかったと思いますが、ターメリックやクミンなど、一般的に知られるようになっています。そして、昨今は特にスパイスへの注目度が高まっていて、自分好みにスパイスを調合して、「マイカレー粉」を作る人も増えています。
――独自に発展してきた、日本のカレーの過渡期でもあるのですね。
井上:
例えるなら、これまではおにぎりをあまりよく知らない外国人が、「このおにぎりおいしいね」と言うような感覚で、「このカレーおいしいね」と私たちは話していました。それが今後は、おにぎりの「具」まで語ることが普通になっていく。カレーを食べながら「このカレーおいしいね」ではなく、「このスパイスは◯◯だね」といった会話が交わされる世の中になっていくのではないかと思います。
<プロフィール>
井上 岳久(いのうえ たけひさ)
1968年生まれ。株式会社カレー総合研究所代表、カレー大學学長。2001年開館の横濱カレーミュージアムで責任者を務めるなど、カレー業界を牽引してきた第一人者。カレーの文化や歴史、栄養学、地域的特色、レトルトカレーなど、カレー全般に精通している。「カレーの世界史」(SBビジュアル新書)、「カレーの経営学」(東洋経済新報社)など、著書多数。事業創造大学院大学客員教授、昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員も務める。
※2021年7月に取材しました。
執筆者プロフィール