浅草演芸ホールの看板猫、ジロリが放つ魅力とは?
都内に4軒ある寄席のひとつ、浅草演芸ホール。1964年の開業以来、落語を中心に漫才などの色物や伝統芸能の講談などの演芸を年中無休で提供し、大衆に広く笑いを届けてきました。
そんな浅草演芸ホールに、新たなスタッフとして猫のジロリが加わったのは2016年のこと。昼はテケツ(切符売場)での接客、夜はホールの見張り番と、縦横無尽の活躍を見せるジロリの人気はじわじわと広がり、今ではひいきのお客さんを多数抱えるまでになりました。
人間たちに混じって毎日せっせと働くジロリは、浅草演芸ホールにどんな影響をもたらしたのでしょうか。
出札係兼ジロリお世話係のまさえさんと、ジロリがきっかけで猫の魅力に開眼したという三味線漫談家の立花家橘之助師匠にお話を伺いました。
「ネズミには猫」という、浅草演芸ホール社長の一言で猫探しがスタート
──ジロリくんは、どのような経緯で浅草演芸ホールにやって来たのでしょう?
まさえさん:(以下、敬称略)
浅草演芸ホールは、1964年に建てられた歴史ある建物です。風情あるたたずまいが魅力のひとつですが、古いせいかネズミが出るのが悩みで……。
ネズミ退治を担ってくれていた浅草演芸ホールの先代猫・クロが高齢になって引退してからは、大事な電気コードをかじられたり、演芸中の師匠の背後をネズミが走っていったりと、ハラハラするような事件が相次いでいました。
そこで社長の「ネズミ退治なら猫だろう?」という鶴の一声で、2代目を飼うことが決定したのです。元々私が猫好きで、先代のクロをはじめ複数の猫を自宅で飼っていたことから、猫探しを任されることになりました。
浅草演芸ホール外観。1年365日、11時40分頃~21時頃まで休まず寄席は開かれている。浅草演芸ホールは原則として昼の部と夜の部の入れ替えがないため、一日中ここで過ごすこともできる。
──「ネズミには猫」の発想が昔ながらでいいですね! 2代目はすぐに見つかったのですか?
まさえ:
社長からは「まさえさん、猫で解決しよう。後はよろしく」と言われたものの、不特定多数の人が出入りする賑やかな寄席で働ける猫を探すのは簡単ではありませんでした。
誰が来ても、どんな音がしても物怖じしない度胸と、俊敏にネズミを追いかけられる身体能力が必要ですが、お客さんや芸人さんに迷惑をかけるような気性の荒い猫はここには向きません。あちこち探したものの、求人ならぬ求猫活動は難航しました。
そんなとき、噺家さんたちのバンド「にゅうおいらんず」で、ソプラノサックスを担当しているミーカチント さんが、自宅で1匹の猫を保護していると聞いたんです。松戸の喫茶店にふらっと入ってきたところを保護されたそうで、「堂々としているけど気性は優しい、人好きの猫だ」とのことでした。ジロリと周りを見る目に力があるから、名前は「ジロリ」。そこまで聞いて、すぐに会いに行きました。
――採用の決め手は何だったのでしょう?
まさえ:
ミーカチントさんのお宅でジロリと面接させてもらったら、引っ込み思案することもなく、スッと鼻を寄せてきて、そのまま私のひざにのったんです。その仕草が決め手でした。
人への慣れ具合から察するに、ジロリは元々誰かに飼われていて、何らかの事情で外猫になった子なのかもしれません。いずれにしても、この子なら寄席でも大丈夫と確信して、さっそく働いてもらうことにしました。
出勤初日から大物ぶりを発揮! 夜のパトロールでネズミを一掃
――実際に勤務を開始してみて、ジロリくんはどうでしたか?
まさえ:
完全室内勤務で外には出さないので、興業中はスタッフの目が行き届くテケツがジロリの勤務場所になります。
勤務初日、ドキドキしながらテケツに連れてきて、「今日から、ここが昼間の仕事場だよ」と話しかけました。すると、ゆっくりと室内を歩き回って一通り点検を済ませた後、すぐに「ヘソ天」(おへそを天井に向けて寝る無防備なポーズ)で眠る大物ぶりを発揮したんです。
面接の際の直感どおり、初対面の人にも臆することなく、瞬く間にスタッフの中に溶け込みました。誰に対しても積極的にコミュニケーションをとりますが、やっぱり男の子だからなのか、女性のほうが好きですね(笑)。
テケツでくつろぐジロリ。看板猫としての彼の職場であり、くつろぎのスポットでもある。浅草演芸ホールの営業中は、ここで過ごしていることが多い。
――肝心のネズミ捕りのほうは……?
まさえ:
ジロリはホールに住み込みなので、人間が誰もいない深夜に建物内をくまなくパトロールしているようです。これまでに、通算12匹のネズミを捕ってくれました。
聞いたところによると、猫に捕らえられたネズミは断末魔の叫びを上げて、ほかのネズミに危険を知らせるらしいですね。「新しく猫が来たぞ!」「ここはもうだめだ!」と、ジロリの情報がネズミのあいだで共有されたのでしょうか。最近では、まったくネズミの姿を見かけなくなりました。
ジロリを起点に人のつながりが広がっている
――それにしても、テケツにジロリくんがいるのは、猫好きにとってはたまらないですね。
まさえ:
ネズミ退治を本業として採用されたジロリですが、テケツから外をのぞく愛らしい様子が評判になり、落語や漫才を鑑賞するついでに、ジロリに会うのを楽しみにしてくれる方が増えてきました。関西から定期的に通ってくるお客さんもいらっしゃるほどです。男女問わず多くのごひいきさんに恵まれて、よくペットフードを差し入れてもらっています。
ジロリが起きていると、「今日は起きているジロリに会えて良かった」と言って、チケットのお釣りを置いていってくれる方がいますし、年始にお年玉をくれたりする方もいるので、エサ代はほぼ自分で稼ぎ出しています。
テケツの丸枠に顔を入れて外の様子を眺めるジロリ。ジロリは11時頃と17時頃なら、目を覚ましている確率が高いという。カメラを向けても堂々たる様子。
――自分の食い扶持を自分で稼いでいるとは、立派なものですね……!
まさえ:
売店で売っている手ぬぐいも、実はジロリの柄が一番人気なので、グッズの売上にも少なからず貢献しています。
「初めて寄席に行こうと思って調べたら、猫がいるというのでここにした」という寄席初心者の方の話もよく聞きますから、広報として果たしている役割も大きいですね。採用の理由を思い出すと想定外ではありますが、ジロリをきっかけに寄席に興味を持ってくれる人が増えていくのはとてもうれしいことです。
ホールの近所の方も、散歩や買い物の途中で足を止めてジロリをかわいがってくれますし、ジロリがじわじわと周りの人とのご縁を広げてくれている気がします。
浅草演芸ホール売店に飾られている手ぬぐい。ジロリのデザインが最も売れているという。ほかにも、ジロリのクリアケースも販売されており、営業猫として優秀な働きぶりが伝わる。
――噺家さんたちとも交流があるのでしょうか?
まさえ:
芸人さんや寄席囃子(よせばやし)の演奏をするお囃子さん、前座さんたちは、出番の後でよくテケツに立ち寄ってくれます。春風亭柳橋 師匠や柳家小ゑん師匠、林家ペー師匠は常連さんで、ジロリのスポンサー。皆さん猫好きで、猫を飼っているんですよ。
ジロリの写真をよくTwitterに上げてくれている落語家の桂三木助師匠も、ジロリをかわいがってくれている一人です。
――まさえさんも、毎日Twitterでジロリくんの様子をアップされていますね。
まさえ:
はい。毎日写真を撮って、「今日のジロリ」をアップしています。コロナ禍で寄席が閉まっていた期間は、少しでも寄席や演芸に興味を持ってもらいたい一心で日々更新していました。ジロリは表情が豊かで、毎日違う顔を見せてくれるので、写真を撮っていても飽きないんですよ。
ジロリとジロリお世話係のまさえさん。ジロリは浅草演芸ホールの外に出ようとしないので、リードをつける必要もなく、お客さんがいないエリアでは自由に館内を練り歩いている。
ジロリに出会って猫の魅力に気付いた立花家橘之助師匠
――ここからは、ジロリくんに出会ったのがきっかけで、近々保護猫を迎えることにしたという立花家橘之助 師匠にお話を伺います。師匠は、元々犬派だったそうですね。
橘之助師匠:(以下敬称略)
ええ。ずっとラブラドールレトリバーを飼っていて、生粋の犬派でした。私は浅草が地元なので、犬の散歩の際に浅草演芸ホールの前をよく通っているんですが、ジロリさんが浅草演芸ホールに来たと聞いて、散歩ついでにテケツをのぞいてみたんです。
そしたら、この美男子ぶりでしょう! 目がぱっちりと大きくて、毛並みもきれい。なんとなく猫は小さいものだと思っていたので、体も思いのほか大きく感じました。
かわいいなあ、立派だなあと思いながら見ているうちに、すっかりその存在感に引き込まれてしまって。寄席の出番の後も、ジロリさんを探してテケツに立ち寄るようになりました。
ジロリの模様の種類はサバトラ。保護猫なので真相は不明だが、ジロリにはアメリカンショートヘアの血が入っているのではないかと噂されている。
――犬と猫ではまた魅力が違いますよね。
橘之助:
そうなんですよ。犬は喜怒哀楽がはっきりしていて、飼い主に向かって愛情をストレートに表現してくれるでしょう。でも、猫は人に媚びなくてマイペース。性格が正反対なんですよね。
犬の一途さもたまらないけど、猫の気ままさや自由さもおもしろい。ジロリさんが、私に猫の魅力を教えてくれたんです。
浅草演芸ホールの稽古場で、ジロリとたわむれる立花家橘之助師匠。カメラを構えるとレンズに顔を向けてくれるところに、ジロリの営業力の一端を感じる。
――芸人さん同士、楽屋などでジロリくんの話をすることもありますか?
橘之助:
芸人さんには猫好きな人が多いから、よく話題に上りますよ。でもね、ジロリさんは、芸人さんにはあまり甘い顔を見せてくれないんです。テケツに行って「ジロリさん」と呼ぶと、名前のとおり「ジロリ」とこっちを見て、ゆっくり瞬きをする程度ですよ(笑)。
それでも、お客さんにはしっかり愛嬌をふりまくんだから、猫なりに力の使い所を見極めているんでしょうね。自分の仕事がよくわかっているんだなと、そのツンデレぶりすら愛しく思えます。
ネズミ退治のため、自宅でも保護猫を飼うことに
――これから猫を飼う予定だと伺ったのですが……。
橘之助:
浅草の自宅にネズミが出たんですよ。どこから入ってきたのか、どう対処すればいいのかわからず困っていたら、猫好きで知られる奇術師のアサダ二世先生に、「ネズミ退治なら、猫を飼うといい」ってアドバイスをいただいたんです。
まるで、浅草演芸ホールが猫を飼うきっかけになった話みたいですが、ジロリさんが浅草演芸ホールからネズミを一掃してくれたと聞いていたし、何よりジロリさんのおかげですっかり猫が好きになっていたので、アドバイスに従って保護猫をお迎えすることにしました。
撮影中、立花家橘之助師匠と猫じゃらしで遊ぶジロリ。興奮すると、猫じゃらしを持つ手を噛む。「三味線を弾く手だけは噛まないで」とまさえさんはハラハラしていた。
――それは楽しみですね!
橘之助:
自分が猫を飼うことになるなんて、少し前までは思いもしませんでした。これも、ジロリさん効果のひとつでしょうね。私が舞台に立っているあいだ、1匹で留守番は寂しいだろうと、2匹いっしょに飼うことにしたんですよ。自宅に稽古場を併設しているので、私がお稽古をするときはそこに放しておこうかな、と思っています。
ただ、犬と猫とでは感情の表し方も、尻尾を振るジェスチャーの意図も違うらしいので、最初は戸惑うでしょうね。だから、お迎えするまでもうしばらくのあいだ、まさえさんとジロリさんの様子を見ながら研究させてもらうつもりです。よろしくね、ジロリさん!
※2021年11月に取材しました
<プロフィール>
立花家 橘之助(たちばなや きつのすけ)
三味線漫談家。1960年東京都生まれ。79年、三遊亭圓歌師匠にスカウトされ、翌年に弟子入り。92年に三遊亭小円歌を襲名。93年に第54回国立花形演芸会金賞、94年に第10回浅草芸能大賞新人賞を受賞。2017年、明治~昭和時代の名跡である立花家橘之助の2代目を襲名。現代の寄席では数少ない、女流三味線漫談の後継者。
●取材協力
浅草演芸ホール
東京都台東区浅草1-43-12
営業時間:11:40~21:00(年中無休)
https://www.asakusaengei.com/
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